〝夫婦というのは、同じ価値観を持っているのが理想だよね?〟
そのように思っている方は少なくないのかもしれません。
むしろ「それが当たり前だろ!」と言われそうですね。
しかし、私は決してそうは思いません。
なぜなら…
なぜ、夫婦の関係に「同じ価値観」を求めないのか?
結論から言います。
私は、「良い」「悪い」に関係なく、夫婦は互いに影響を受け合わないことが一番大切なことではないのか?
そう考えています。
どういうことかと言うと、
『夫婦』というのは民法752条によれば、
「夫婦は同居し、互いに協力し扶助しなければならない」
といった、三つの義務を履行しなければならないことになっています。
ちなみに、扶助(ふじょ)とは、〝力を添えて助けること(相互に)〟という意味があります。
とは言え、元々は他人同士だった二人が一緒に生活をしているわけですから、互いに「協力できないこと」や「扶助できないこと」が少なからずあるのは当然のことだと思っています。
それにもかかわらず、「夫婦である」ということで、お互いに協力しなければならないという義務が存在し、さらに 〝夫婦は互いに助け合うのが当たり前でしょ?〟といった義務感までもが存在していることに、私は疑問を感じているのです。
要するに、〝夫婦なんだから〟という価値観を相手に押し付けるのはおかしいのではないか?そう思っています。
なぜ〝夫婦なんだから〟という価値観を押し付けてしまうのか?
ただでさえ、生まれも育ちも違う二人。
もちろん、夫婦はそれぞれが違った価値観を持っているのは当然のことですが、
それが分かっていても、つい「夫婦なんだから当然でしょ?」という価値観を相手に押し付けてしまうのは、〝夫婦とはいえ他人である〟ということを忘れてしまっているからなのです。
〝価値観の違い〟を押し付けないためには?
夫婦が互いの価値観を押し付け合わないためには、
『夫婦は〝同じ〟であって〝違う〟存在である』
ということを理解することだと思っています。
これは当たり前のことを言っているように感じるかもしれませんが、とても大切なことです。
結局のところ、
夫婦であっても他人であるということには変わりないのですから、お互いの〝違い〟については、理解することができても、共感することはできないということなのです。
「理解」はできる。「共感」はできない。
少し話はそれますが、
私の妻は「花」や「植物」が好きです。
ドライブ中でも、道端に咲いている花を見て「◯◯が咲いている!」と、嬉しそうに私に教えてくれます。
正直、私からすれば〝何でもない花〟にしか見えません。
もちろん、花の名前を教えてもらったところですぐに忘れてしまうのです。
そんな私には、妻が花を見つけたときに感じた感情にはどうしても共感することができないのですが、妻が花について話している姿を見ていると、妻は花のことが本当に好きだということを理解することはできるのです。
〝夫婦だからこそ〟お互いの価値観を知ることが大切
夫婦であっても相手の価値観に共感することができないことは多いものです。
それでも、夫婦は同じ体験を分かち合うことで、お互いの〝違い〟を理解していくことはできると思っています。
たとえば、
私と妻が「花」を見たとき、私にとっては〝価値のないモノ〟が、妻にとっては〝価値のあるモノ〟であったことを理解することができたように、
それと同じで、
一緒に映画を観たり、
一緒に食事をしたり、
一緒にスポーツをしたり、と
ふたりが同じ経験を分かち合うことで、お互いの価値観には違いがあったことを知ることができるのです。
結局のところ、
価値観の違いを無理して相手に合わせる必要なんてないということです。
最後に
私は冒頭で、『夫婦は互いに影響を受け合わないことが大切だ』ということを主張しましたが、
それは決して〝夫婦関係は希薄な方がいい〟と言いたかったのではなく、むしろ積極的に同じ経験を分かち合い、お互いに価値観の違いを理解していくことが大切であるということを伝えたかったのです。